つれづれなる、小さき頃に過ごした新宿という街


 僕は、生まれてから大学を卒業し就職してから数年までの間、新宿駅から歩いて10分ぐらいのところに住んでいた。

 小学校は、今は無き「淀橋第二小学校」。高層ビルの谷間(と言っても、高層ビルが後から建ったんだけれど)にあって、昔の工学院大学の校舎(今のエステックビルのあたり)の隣にあった。だから新宿の西口から南口にかけては、かなり詳しい。なにせ「学区」だったからね。

 僕がFM東京に目覚めた(午後のまったり系に目覚めた)のは、今は無き、南口のせきぶんどうしょてん(あれっ、積文館だったかな?今はスターバックスコーヒーになっている。世界堂南口店の斜め向かいぐらいのところ。)ここに地下の売り場があって、この地下には当時大流行だった無線やBCLの本が山のようにあった。夏休みには毎日のように出かけ、ずっとここで何時間も、座り込んで知識を吸収した。この時に必ずバックミュージックとして流れていたのが、FM東京だったわけだ。僕は夏の午後、まったりとした時の中で、本を読みながらFMを聞くのが、今でも大好きだ。
 昔のFM東京は、スタジオが新宿のKDDビルの中にあった。僕は中学生になってから、時々、土曜日の午後中学校が終わってから(だったと記憶しているが、もしかしたら授業をサボって行ったかもしれない)スタジオに遊びに行っていた。FM東京独特の午後のまったりとした雰囲気を醸し出すDJの女性中村こずえに会ってみたかったのだ。でも中村こずえに会えたことは一度もなかった。僕が行く時にはいつもテープが回っていた。(このテープで放送しているんだよ、と見せてくれていたから、間違いないと思う。)

 僕は今でもあのときの中村こずえに会いたい。

 しかし思わぬところで、その中村こずえがそばにいたことを知った。
 高校になって、僕はスキューバダイビングに目覚めた。この時のインストラクターの結婚式の二次会が、新宿の末広亭の向かいあたりの飲み屋で開催され、僕は出かけた。
 いつものように色紙が回されてきた。その中に「中村こずえ」と書いてある。えっ?と思い聞いてみると、インストラクターの高校の同級生(僕の記憶違いかも)だと言う。「今日来ているのですか?」残念ながら、色紙に寄せ書きをしただけで、来ていなかった。

 僕は今でもあのときの中村こずえが大好きだ。


 新宿の西口は僕の生まれ育った町。

 ヨドバシカメラも、僕の記憶に間違いがなければ、僕の小学校の同級生の八百屋の「カシムラ」君の家の跡地にできた、すごく小さな店だった。この店ができたので、カシムラ君は引っ越したんだって思っていたんだ。ヨドバシカメラのヨドバシとは、新宿の地名である「淀橋」からとったものだ。

 甲州街道沿いの靴屋の二階には、当時には全くなかったコンピューターのプログラムを開発する小さな事務所があった。日本のパソコン史を紐解くと必ず出てくる事務所だ。なぜか僕の記憶にはKEYコーヒーの青い小さな路上に置く看板の記憶が同時にあるが、もしかすると2階は喫茶店で、事務所は3階だったのかもしれない。
 なぜかスタートレックの原著を僕が買ったのも、この事務所からだった。買いに行ったら、「えっ?本当に買うの?買う人がいるんだ?」って驚かれたのを覚えている。10巻ぐらいのセットで、5千円ぐらいだった。

 パチンコのアラジン(ICIスポーツの向かい)があるところは、それ以前は銭湯だった。

 手焼きの煎餅屋もあった。

 新宿だって人が住む普通の町なんだ。


新宿って、とても不思議な町

仕事柄、ちょっと大げさだけど世界中のいろんな地域に、数ヶ月単位で滞在してきた。
だからこのWebsiteを作ることができたのだけれど。 その、どことも違う。

この「どことも違う」感じに溢れているのが、以下の2冊。

せがわきりが書いた「新宿キッズ」(二見書房 ISBN4-576-98159-5)。
彼女は十二社(じゅうにそう)に住み、淀六(淀橋第六小学校)に通っていて、その頃の想い出がたくさん書いてある。
十二社なので、私とはだいぶ違うけれど、でもずいぶんと重なるところがある。

玉袋筋太郎が書いた「新宿スペースインベーダー」(武田ランダムハウスジャパン ISBN978-4-270-00651-1)。
彼は淀一(淀橋第一小学校)に通っていて、その頃の想い出がたくさん書いてある。
淀一は確か、新宿駅の東口が学区だったと記憶している。だから、私と重なるところは少ない。
それに文中出てくる柏木公園といえば、確か淀四の学区だったように記憶している。
とはいえ、漂ってくる新宿の香りは同じだ。

もし新宿にご興味を持っていただけたら、是非ともこれらの本に目を通していただければと思う。


淀橋第二小学校 校歌
 
大東京の新宿に
・・・
忘れた。うん十年前だからね。
悲しい
・・・
○○のまごころの
泉が豊かに湧いている
この泉は確かに学校のそばにあった。駐車場の中だったけれど。駐車場の管理人さん(大西君のお父さん)にスイッチを入れてもらって、湧き出す(ポンプだよね)のを何度か見た記憶がある。淀橋台地の縁にあった湧水を見た目だけでも復活させたものだと思う。
我らの○○よ、学舎よ
・・・
だめだ思い出せない
悲しい、思い出したら書いていこうと思う
うちの妻は淀四卒業だが、学校が残っているというのは、根っこがしっかり張っている感じがする ・・・